自分を育んでくれた地域を
「デザインの力」で元気にしたい
そんな思いから燕舎は生まれました
2017年8月21日、燕舎はオープンしました。
修善寺は、古くから県内有数の温泉街として知られていますが、1人の住人として、徐々に活気が失われつつあるのを肌に感じていました。小さい町ということもありますが、過去20年以上遡ってみても、新しくできたお店は数えるほど。高齢化・過疎化が進み、昔よく通った駄菓子屋さんやお店がひっそりと閉まっていくのを寂しく感じていました。
2017年の6月、学部4年次の初夏、週末に実家へと帰る道中、日枝神社の並びの店舗が空き店舗に変わっているのを見つけました。ふと、「お店、やってみようかな」と口にしてみたらトントン拍子で話が進み、帰省した週末の間に契約を結ぶことになりました。
その後、3年次から継続していた卒業制作の計画を変更し、燕舎の事業のプランや、グラフィックツールなどのデザイン制作を卒業制作として取り組み、約2ヶ月間の準備期間を経て開業に至りました。
都内での就職活動をしている最中に急に持ち上がった開業の話だったので、卒業後の進路はどうしようかと迷いながらの開業でした。
当時、修善寺の旅館組合さんと縁あって地域内のデザインやお土産物開発には取り組んでいましたが、修善寺に戻る予定はなく、都内での就職活動をしている最中に店舗の契約をしました。
開業準備と並行して試験を受けて最終的には内定をいただき、憧れのデザイナーさんからお声掛けいただいたりもして、かなり気持ちが揺れました。社会で経験を積んでからの方が、いいのかなという思いもありました。
沢山悩みましたが、後押しをしてくれた友人や学校の先生たち、旅館組合や地域の方々の存在、そして、地域の未来にとっては1年でも早く行動するのが良いのではないかという思いが勝り、最終的には卒業後も事業を続けることに決めました。
十分とは言えないかもしれないけれど、これまで自分が学んできたデザインの知識や技術でも、地域に貢献できることがあるのではないかと思い、まずは1年頑張ろう、もう1年、もう1年…と続けています。
悩んだすえに決めた道でしたが、自分の生まれ育った地域で、自分のことを小さな頃から知っている方々や地元を訪れる観光客の方からの喜びの声を直接受け取れる今の仕事を気に入っています。また、自然豊かな修善寺でのゆったりとした暮らしもとても好きです。日々、この道を選んでよかったと感じています。
私は自分の生まれ育ったこの土地は、魅力あふれる土地であり、まだまだ沢山の可能性があると思っています。
しかし、修善寺は何もなくてつまらない場所だと思っているような子どもたちは少なくありません。また、高齢の方々を中心に、かつての人で溢れかえっていた様子を知っているがために、未来に悲観的な方も多いのが現状です。
地域の人々が気づいていない魅力や可能性をみえるようにカタチにして伝えていくことが、地域への愛着や愛情、誇りを育んでいくことに繋がり、そしてそのそれぞれの想いが形成されていてこそ、地域の活性化があるのだと考えています。
まずは、地域住民が幸せに楽しく暮らし、観光に訪れる人々がそれを感じられるような地域を目指して、小さくゆっくりと歩みを進めています。
代表&デザイナー
勝野美葉子 / Katsuno Miyoko
1995年 静岡県・修善寺出身
日本刺繍と江戸友禅職人の両親と、歯科技工士の祖父の影響もあり、幼少期からものづくりに親しんで育ちました。姉妹都市交流の関係で、ホストファミリーとして外国からの学生を毎年受け入れていたので、自然と英語が大好きになりました。
高校時代は、英語を活かせる分野への進学を考えていましたが、3年生の春に、「デザイン」に出会ったことをきっかけに大きく進路を変え、現在に至ります。
ある日の夕方、何の気なしつけていたテレビで、世界で活躍するデザイナーとして宇多川信学さんが特集されていました。デザインによって人々の行動を意図的に変え、犯罪発生率を大きく抑えることに成功したNYの地下鉄車両「R142A」の事例を見て、デザインの持つ力に大きな衝撃を受けました。同時に、論理的な思考を積み重ねていくデザインのプロセスに強く惹かれました。
デザインというものに興味を持ったその翌日、学校の図書館でデザインの本を探してみると、プロダクトデザイナーの山中俊二著の『デザインの骨格』という本が1冊だけ見つかりました。その本にはSuicaの開発話を始めとする様々なデザインの事例や、ものの見方、考え方が優しい言葉で紹介されていました。深く、広く、論理的で感性的なデザインの世界に触れ、なんて魅力的で面白い世界なんだろうと夢中になって読んだのを覚えています。
身の回りには自然物よりも人工物が多いので、よくよく考えれば全て誰かしらの手によってデザインされているわけなのですが、ぼんやりと生きていた私はその当然のことに気づいていませんでした。どんな意図が込められているのか、どんな経緯でつくられているのか、そんなことを想像するようになると、なんでもない日常の風景も面白く感じられるようになりました。
もっとデザインについて知りたいという思いに駆られ、デザイナーになるためではなくデザインというものを学ぶために、大学ではデザインを専攻しようと決めました。高校の先生たちには随分と強く反対されましたが、自分の中で学びたいものが明確になった以上、気持ちが揺るぐことはありませんでした。
元々学ぶことが好きなので、プロダクトデザインを専攻しながら、さまざまなデザイン領域や基礎となるデザインフィロソフィーなど広く学びつつ、文学や、演劇文化論、現代美術など、デザイン以外の科目も興味の赴くままに履修していました。
高校生の頃は、自分の生まれ育った地域でお店を持ちながら、デザインの仕事をするようになるとは微塵も思っていなかったので、いまだに不思議な気持ちで仕事をしています。